大学4年になって初めてシゴトを意識しました。
自分の中では、シゴトの実感があるのはアルバイトだけ、しかし気づかいがいやで先輩から紹介してもらった家庭教師や物を売るようなシゴトは回避していました。
よってバイトは、競馬場の警備員、新聞社の印刷所の作業、ジュース運び、プラスチック工場のライン作業、甲子園球場の切符きり…
肉体労働ばかりです。
でも心の中では「学生のバイトやから…」というものがありました。
自分の生涯をかけるシゴトとしてはとらえてませんでした。
(まぁ人生をなめとんのか!シゴトに貴賤をつけとるやないか!)って奴でした。
なんでいざ就職の時、困りました。
やっぱり肉体労働は嫌や!
けどノルマに追われる営業なんかできん!
事務で…
なんて甘い奴
父親が公務員(海保の事務職)だったので公務員感覚で教育されてました。
なのに…父曰はく、「私学で公務員なんてありえん!」らしいのです。
そしてバイトで稼ぎすぎていて…大学3・4年は新聞社と競馬場のかけもちバイトで月26万稼いでいました。
から求人票の11万5,000円とかいう初任給…アホらしくて、鼻で笑ってました。
ほんで考えたのが…
とにかく一流企業ならつぶれない!でっかいことはいいことだ!
と業界ナンバーワンの会社ばかり選んでいました。
日本航空、トヨタ自工、電通、武田薬品、阪急電鉄、近鉄…
話になりはずありません。
今で思えば…
一人暮らしも嫌、単身赴任も嫌、でも有名な会社が良い。
矛盾!
そしてまた、自分の学校でこんな会社行ってもゴミですね。
結局、製薬品会社を受験 ミドリ十字、日本チバガイギー、エーザイ…
全部落ちました。
で、結局アパレル…紳士服メーカーで当時、業界3位大賀という会社に入社しました。
なんの芸もない文系の学生なので当然、営業。
神戸大丸の紳士服売り場で悪戦苦闘…!
毎日、前年の数字とにらめっこしながらノルマに追われ…
ノルマがこわくて通勤電車のつり革の持つ手が震えていました。
友人の勧めで金融会社に転職しそこでも営業の現場で7年、念願の広告宣伝の職でも当然、マーケティングですから営業ノルマに直結するわけで…毎日、悩んで終電で帰る日々でした。
「〇〇しないといけない!」
「失敗はできない!」
「全部、俺の責任!」
Must!Must!Must!Must!
結局、何がしたいのかわからないまま
学校を出たら働かないといけない…というだけで条件だけで考えて歩いて走ってきました。
サラリーマンって自分の時間を会社に売っているんだな…そう感じてきたのが子供も成人した50過ぎ頃からです。
食わんといけない!生活していかんと!
それは大事!
でもほんとうにそれだけなの?
子供への責任を果たしてなお、自分たちだけの生活なのか?
まぁサラリーマンとしてわりと猛烈に働いてきた(いや!働かされてきた)けど、結局自分にチカラがないのか…
あまり器用な生き方ができるタイプではないのです。
出世もたいしてせず…、おまけに50歳を機に会社が左前になって大量リストラの嵐に…なんとか生き残ってはいたものの、単身赴任の営業にまわされ…
60歳で延長雇用なし!が確定している中…このままずっと「後追い」のような生活のためのシゴトだけでいいのか…
2014年5月に…やめじゃ!こんなとこ!
って…サラリーマンを勝手に卒業してしましました(笑)
で2年かかりました。
起業するにも…なんか怖くて地元の小さい会社に就職もしてみました。
(笑)ブラック&ブラックでした…寝る時間もないところでした
結局、年齢を重ねるごとに いくら人手不足とはいいながら雇用されていては「まとも」な扱いはしてくれない。バイト生活がせきのやま!
自分だけのことばかりの生活でもそうなんや!
なら自分で自分のしたいシゴトを、自分のしたい人とだけ、したい時間だけシゴトしよ!
と思い…起業しました。
それからまた3年
やっと何のために誰のために何をすればいいのか?
自分にできること…
やっとみつかけました。
「マイルストーン」
使命を果たす事をシゴトにしようと…これをホントウにそう思えたのが2018年4月です(ほんの1年前…)
あと5年はやらなければならないコトがてんこ盛りです。
シアワセな日を過ごしています。
儲かってはいませんけど…(笑)(汗!)
何をするかは、販促計画のWEBにあることですね。