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寝ても覚めても 関学 関学 関学

「思考は現実化する(ナポレオン・ヒル)」という書籍を読みました。

 

〝想像できるものは必ず実現できる〟3

 

寝ても覚めても 関学 関学 関学

 

父が公務員であった事、地元の県立の普通高校に進学したこともあり、陸上が好きで自信もあり楽しんでいた私にとって

ホントウは神戸製鋼(実業団)に入って走り、オリンピックも狙える選手にとしてスポーツアスリートとして生きたかったという夢も、なかば醒めかけていました。

 

高校は創立1年目の新設高でもあり、上級生はいません。全員1年生。

そんなこともあり、学校サイドは入学当初からかなり張り切っていました。

県立といっても地区でも上から4番目で「中の並み」なのですが…

 

入学早々に 進路希望を書かされました。

先輩もおらず、実績もないことから周囲はみんな 神戸大学とか神戸外大とかまぁ国立や公立を平気で書いていました。

 

私はというと、これが1年時から3年の最後の希望まで

「終始一貫して 関学=関西学院大学」でした。

しかし学部希望はなく、どこでもOK

 

なので、書き方は 第一志望 関西学院大学 経済学部、第二志望 関西学院大学 法学部、第三志望 関西学院大学 商学部 と書いていました。

第三志望までだったので こうなっていましたが、あれば第四 文学部、第五 社会学部と文系全部埋める意気込みでした

 

担任からも「お前、大学で何を勉強したいんや?」と聞かれる始末で

「よくわかりません。そこまで考えてません。ただ関学に行きたいんです。絶対に…」

と答えていました。

「なんで?」と聞かれても、「なんでも」って返していました。

 

寝ても覚めても関学… 

理由は単純でしたが…

 

実は中学3年の時に従兄が四国松山から関学を受験しにやってきました。

彼は松山の地元の大学に行く予定で関学は試験慣れに来たに過ぎなかったのですが、当然試験の下見に付いていきました。

 

神戸育ちといっても田舎で走ってるだけの中学生でしたので、関学は初めてでした。

いきなり!ショックを受けました。

キャンパスがあまりに綺麗なのに…

一瞬で感じました。「俺、ここにこよう!」

で 何をするのか…「中央芝生で昼寝したい!」

これが志望動機です。

 

(笑)

 

運命なんてそんなもんではないでしょうか?

自信もなく優柔不断な私なのですが、

 

そんなこんなで想いはあってもそれから2年 なにも特に勉強するでもなく、

だだ聞かれたら、関学に行く 三日月(関学の校章)つけて走る としか言ってませんでした。合格根拠もなく。

 

そんな時、件の従兄が神戸に遊びにやってきました。

「お前 そろそろ大学受験やろ?どこ行きたいんや?」

「関学」

「ほぉおーーーー」ということで従兄に問題を出され学力を試されました。

30点…

「お前、この学力じゃぁ どこの大学も不合格や!」と一蹴されました。

 

情報もなく切迫感もない生活が一変した瞬間でした。

従兄に受験勉強の方法を教えてもらい

なんと 翌日から1日10時間の受験勉強が始まりました。

 

まぁ苦しかったです。

でもクラス43/45番だった私が3か月で5/45番になりました。

 

しかし夏休みには、完全にペースを乱し40日間勉強ゼロで過ごしてうつ状態にまでなりました。

しかし何故か関学をあきらめるという選択肢だけはなかったのです。

 

秋から再スパートし、年末には京都産業大学の推薦も勧めてもらいました。

正直、受験勉強がつらかったですし、妥協しようかとも一瞬思いましたが

何故かここでも関学に拘る自分が居ました。

 

受験直前の1月。受験校は、甲南大学(1学部)、関西大学(2学部)、関西学院大学(4学部)、同志社大学(2学部)の計4大学9学部です。

先生からは、甲南大学と関西大学は80%大丈夫だろうと関学は50%、同志社は40%かな?

と…

本人もここまでくれば「やるだけ」…。

現実には関西大学くらいかな?とは正直 思っていました。

 

受験の結果、

甲南大学法学部 不合格、関西大学 法学部 不合格、関西大学 商学部 不合格、関西学院大学 商学部 不合格、関西学院大学 法学部 不合格

…続々と 不合格通知が手元に

 

ショックで寝込みました。

関学 社会学部と 同志社 文学部・法学部の3つを残すのみです。

 

またあの受験勉強をしなければならないのか…と憂鬱になりながらも

気を取り直して、その日は書店に来年用の参考書と問題集を買いに行く予定でした。

 

朝も起きれず…まどろんでいると

 

母に起こされ…

寝ぼけ眼で母を見上げると、何故か「にこやかな顔」で立っています。

 

見ると 母の手に 「関西学院大学 社会学部」 と書いた「大きな封筒」があります。

未開封ですが…

さんざん不合格通知を見てきた 我々(母と私)にとって「何か特別」な通知を実感できたのは今でもよく覚えてます。

 

なんなん? え?

開封… 「合格通知」

何度も 何度も こすって「不」の文字がないことを確認しました。

 

!!!!!

ガッツポーズで飛び上がり天井で頭を思いっきりぶつけました。

 

喜々として 食事もせず、走りにでかけた事を覚えています。

受験結果 1勝8敗 その1勝が大金星!

 

想像できるものは必ず実現できる

願望が現実になった 話です。

長文におつきあいいただきありがとうございました。