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公立高校の話

「思考は現実化する(ナポレオン・ヒル)」という書籍を読みました。

 

〝想像できるものは必ず実現できる〟2

 

願望が現実に 公立高校の話

 

中学3年時、頑張って、張り切って 毎日楽し苦しく陸上部で走っていました。

まさか…自分が高橋君よりも速くなってエースになろうとは…

吃驚でしたが、天にも昇る気持ちでした(高橋君の名誉のために補足しますが、この2年後、高校で逆転されます 別の高校でしたが…)

 

他聞に漏れず、高校進学の季節でした、特に希望はありませんでしたが、県立高校には行きたいと考えていました。

 

ところが、クラスの担任からは「市立の高校」を受験するよう指導されます。そして滑り止めにI校という私立を進められました。

 

私は県立で新しくできる「新設校」に行きたかったので、希望を伝えましたが、「絶対、無理!」と

私立もT校を希望しましたが「滑り止めにならない」と一蹴されました。

 

絶望!というか 意気消沈というか…

何日も不満でした。(自分のせいなのに…)

 

毎日、毎日 県立の新設校に行って走る事をイメージしていました。

そして もうひとつ 私学にはできれば行きたくなかたのです。

受験すら嫌でした。(ただ勉強が嫌いなだけだったのかもしれません)

 

ある放課後、部活動の時です。

顧問の先生から呼ばれ「お前、高校どうすんねん?」と聞かれました。

「高校ですか?県立の新設校に行きたいんです!行くんです!」

と即座に答えていました。

 

「私立はいかんのか?」「はい? あーーーー滑り止めにTを考えてますが」

「担任は 市立のS校をメインで 私立はI校をというんですが…」

 

「なるほど、実は S学園とH高校の私立2校がお前を欲しいと言うてるんやけど」

とのことです。

 

「芸は身を助ける」

陸上の走りを認められてのスカウトです。

その時は、正直 嬉しかったです。

 

というのも、ホントウは 報徳(H高)に行って、神戸製鋼に行って走りたいと思っていたからです。選手としてやっていきたかったのです。

 

ウキウキして夜、親に相談しましたが、一蹴されました。

理由は「報徳で怪我して走れなくなったらお前はその先 人生をどうするんだ」

「地元の公立の普通高校に進学して普通大学に行け」との指示です。

 

親の考えです。 まぁ 国家公務員の父ですから 「冒険は敵」だったようです。

ところが、私も中学生ながら、思い込みが激しいというか、勉強嫌いというか

親に交渉しました。

 

「担任がI高を私立では受験しろと言うが、推薦で可能なら2次試験で県立の新設高が駄目な時は、報徳い行って、勉強して走るんならいいかな?」と条件交渉しました。

 

意外にも それならよかろう ということでした。

 

翌日、陸上部の顧問の先生に交渉です。

「報徳ですが、公立(県立の新設高)が不合格だったら2次試験で拾ってもらうって可能ですか?」と交渉

 

顧問の先生から「それでもいいよと返答もらった」とのことで 

条件付き推薦をお願いしました。

 

ここで第一次願望の行きたくない私立の受験を回避し、本命が駄目でも目一杯、陸上をできる環境を確保しました。♪

 

一方、問題は第一次志望の県立新設高の受験です。担任の先生は市立のS校にランクを下げる事を進めます。 二次試験で私立が推薦で確定していても承認してくれません。

 

私の願望はあくまでも「県立の新設高」です。

 

また別のある日、体育の柔道の授業で陸上部の顧問の先生と組手をしていた際、

「第一志望はどうなんや?」と聞かれ

 

父の意向、担任の意見を話しました。

結論は、「私は第一次的にはやはり県立の新設高に行って走りたい」という願望を切に伝えました。

 

まぁ しかし陸上部の顧問の先生がどんなに気にかけてくれていても成績の評点が足らないのですから「ほぼ、どうしようもありません」

 

まぁ諦めてはいました。

 

すると 数日後、部活動の練習の時、顧問の先生から呼ばれ、

「お前、県立の新設高 受験したらええから」と言ってくれるのです。

「え?でも評点ないし確実に不合格やと、担任の先生が言うんですが」

「大丈夫やから受験しなさい。担任の先生にも話つけておいたから」

とのことなのです。

 

???不思議でしょ

 

まぁ親にもそのことを説明すると、

「2人の先生が出してくれた結論なら素直に従えばいいじゃないか」

という事でした。

 

で、受験し待望の県立の新設高に合格したのです。

 

夢は現実になる話

嘘みたいですが、

 

カラクリはこうです。

私の高校受験当時、1974年当時、兵庫県は高校受験に関して内申書重視の兵庫方式というものを始めて導入した年で、入学試験のウエイトは10%程度で90%通知簿の評点で決まる受験システムでした、よって受験科目に留まらず美術や音楽や体育ひいては部活動なども判定要素になっていました。

私の場合、学業成績は当否ライン上で確率は50:50でした。

しかし、新設高に赴任する陸上部の顧問の先生が有名な陸上のコーチでここでもまた私を欲してくれたようで加点があったようです。

中学の陸上部の顧問の先生によると、入学試験の前日に「合格は確定」してたそうです。

 

芸は身を助ける

夢や願望は現実になる

 嘘のようなホントウの話です。