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大阪に残る

「思考は現実化する(ナポレオン・ヒル)」という書籍を読みました。

 

「想像できるものは必ず実現できる」4

 

大阪に残る

1980年11月。やっと就職が決まりました。

大学4年の冬です。 私が大学で就活をした時代は、売り手市場の「いいはず」の時代だったのですが、苦労しました。10月に薬品や印刷など20社以上受けたが決まらず、11月アパレル業界を中心に背水の陣で活動(11月は5社全部合格しました)

 

そのなかでは一番、大手だった会社に就職しました。いわゆる「内定」です。

紳士服業界3位の大賀という会社でした。

 

内定を言い渡されたと同時に人事の方から

「明日からでも売場にアルバイトに来ませんか?」と… 

11月中旬のことでした。

 

「え?時給いくらですか?」と聞きたかったけれど、内定もらった直後から印象大事だったので「はい!ありがとうございます」なんて

日給1万円と月額17万円のアルバイトしていたのに…(あっさり辞めるはめになりました)

 

学生まっただ中から一気に社会人モードに…

悪戦苦闘の末、なんとかアルバイト先でも上司の評価はある程度いただけた感はありました。

 

そして4か月か過ぎ、4月の入社式を前にして 先輩からよからぬ話を耳にします。

 

問題点は2点

まず、大賀という会社は採用の1/2を子会社に出向させるという事。

そして 大賀本体に残った1/2の中でも京阪神の大阪本社管轄に残るのは2・3人であとは地方勤務…

 

さらに地方勤務は寮が営業所の上階で、休みの日でも仕事させられる…

 

60名採用の内、大阪本社管轄内勤務は多くて3名。

全く寝耳に水です。

 

その時、私の頭の中では、「話聞いてないし!」、「詐欺やん!」「家から通うために大阪の会社にしたんやん!」と愚痴が出るわ出るわ!

3/60の確率です。5%です。

95%の確率で「悪夢」です。

 

しかし、その時なぜか私の心には「俺は大賀本体に残って、神戸で仕事をするんだ!」と

 

変な確信が心に芽生えました。

 

私という人間は本来あまり自分に自信のあるタイプではなく、強気とは正反対の性格です。

なのに何故、根拠もなく他の内定者ともほとんど面識もないのに…(私は11月内定で当時10月内定が常識の時代にどちらかというと遅れて拾ってもらった口でした)

条件的には決して有利なはずはないのに…根拠もなく且つそんなに売上で頑張れたアルバイト状況でもなかったのです。

 

単に「多分、ここで仕事をする」と… 当時、私は大賀本体のCAESAR(シーザー)という自社のブランドのカジュアルコーナーの販売のアルバイトを神戸の大丸で行っていました。

 

地方だったらどうしよう…

子会社に出向させられたらやめようかな…

 

ということは何故か、ほとんど考えませんでした。

不思議でした…

 

しかし、やはり4月1日の入社式の日はドキドキでした。

午前中に入社式があり、午後のオリエンテーションで人事の方から

まず 配属の大賀と子会社の互洋の辞令がありました。

子会社行きの中に自分の名前はありませんでした。

…ふ~~

 

子会社の配属になった人が退席した後、

大賀の各配属の発表です。

福岡、広島、名古屋、東京、仙台、札幌 どんどん呼ばれていきます。

 

残り3名に入りました。

でもまだわかりません…

 

和歌山大丸スーツ担当 西田くん。

神戸大丸スーツイージーオーダー担当 多田くん

最後の一人やん! え~―――――――

神戸大丸CAESARカジュアルコーナー担当…

 

八木慶太

 

やったぁーーーーーーーーーー

アルバイト先でした。

 

こんな事もあるんですね♪

出来が良かったとは言えませんが…一生懸命はやってました。

見てくれていたんですね。CAESARコーナーの社員の方が…

 

私を推薦し、招聘してくれたのでした。

 

命拾いしました。

 

希望・想いは現実になる 話ではありますが この上司は今でも尊敬する3名に入っている人でした。

 

〝心に決めて〟しまえば「そうなる」ということを実感した実例でした。

と いう話です。