「思考は現実化する(ナポレオン・ヒル)」という書籍を読みました。
〝想像できるものは必ず実現できる〟
幼稚園では不登校児、小学校2年では、いじめに会い。通知簿は5段階で2が7割で、あとは3。
運動会の〝かけっこ〟では、6人中4番目。月に1回は風邪で学校を休む。
野球が好きで少年野球をしていたが、勿論 補欠。
何をやっても「人並み」以下で身体も弱い、筋肉はどこにある?という細い細い子供でした。
中学に入学して「最初の朝礼」で貧血で倒れ保健室に運ばれました。
〝好き〟だけで野球部に入部するも当然、〝球拾い〟。レギュラーが実践練習する中、声だけ出して構えるだけの毎日。そんな時、陸上部の走りが目に入りました。
みんな同じ練習をしている…。そんな想いとマラソンシューズ(青に白線)<オニツカ・タイガー>とランニングパンツ(白に赤線)<ニシ>が妙に格好よく思えました。
〝球拾い〟には野球部の先生から「毎日素振り100回。腕立て伏せ30回。1km走る」課題が与えられていました。
とにかく 続けました。
しかし「素振り」と「腕立て伏せ」は3日と続かず、何故か「走る」事だけは、雨の日も登校前の10分間、1年間1日も休むことなく続きました。
「校内マラソン大会で学年2位」になる事を想像しながら…。
何故、校内マラソン大会なのか、よくわかりませんでした。そんな催しがあると聞いていたので…。2位はというと同じクラスに陸上部のエースの子がいて…。
彼は高橋君と言い、勉強もクラスで1番。走りも神戸市の中学1年で1番。「憧れの存在」でした。
そんな彼には1番で居て欲しかったのでしょうか…自分の想像は2番だったのです。
長距離が、マラソンが、どんなものかも知らず。走りに自信があるわけもなく。
ただ、運動会のかけっことは少し「別もの」のようには感じていました。
何故、感じたのかは、今もって謎です。
陸上部のマラソンシューズやスパイク、ランニングパンツに何故か興味を惹かれました。
それも何故だか、今もって謎です。
だいたい「人より抜きん出る」なんてことは当時、「想像」すら、できなかったのですから。
でも何故か…良い兆候は徐々に現れてきます。
自主トレランニングから3か月くらいした時、体育の時間に1500mを走りました。いわゆるスポーツテストの持久走です。
なんとクラスで3番!5分22秒で走りました。
「え?ホンマ?」って感じで「なんか、自分も人並みにやっていけるのではないか」と思った(人生初の想い)記念すべき日になりました。
その後も当然のように、いや前にもまして「校内マラソン2位」をワクワクしながら「一人実況中継」なんてマネしながら走るようになりました。
当時の中学は1学年16クラスもあり、クラス3位なんて単純に計算しても50番前後かもしれません。なのに何故? 「校内マラソン2位」なのかわかりませんが…
秋口になり、野球部の練習もオフシーズンで基礎体力トレーニングが中心になりました。
持久走が中心です。
ここで本領がますます開花してきました。野球では100人の部員中多分95番から98番くらいの下手くそなのですが、持久走となると野球部100人中2・3番目をいつも走ることになります。2・3年生も含めて…。
走れる毎日(朝の自主トレと野球部での持久走)が楽しくて仕方なくなってきました。
そして本番2月の「校内マラソン大会」
1年生男子で350人が一斉に3.5kmを走ります。「舞子墓苑」というところの周回道路2周でした。
今思い出しても、何も緊張せず、何も考えていませんでした。
2位も意識せず…。
スタートして5分くらいでしょうか、気が付くと「前に誰もいない」のです。
「なんで、誰もおらんのかな?もっともっとずっと前を高橋君は走ってるんやろな」と思っていました。
彼の強さは陸上部でも群を抜いていましたから…。
その陸上部長距離も伝統的に強く、毎年神戸市の駅伝では3位前後を常に守っていました。
だから、学年2位なんて全く根拠もなく可能性も…考えたら、「あるわけない」のです。
それから2周目に入り同じ状況が続きました。後ろすら見えないのです。
「??????」 という感じでひたすら走り続けました。
ゴールが100mほど先に見えてきた時、「スタスタスタ」とやっと足音が聞こえてきました。
振り返ると高橋君でした。
「やっと来た」という不思議な感じでした。何故か「腑に落ちた」というか「落ち着いた」気分に浸りました。彼は何も言わず「スタスタスタ」と抜いて行きました。
ほどなく彼の5mほど後ろでゴールしました。
今でも忘れません! ゴールした時の陸上部と野球部の先生の驚いた顔。
野球部の先生は私が野球部だった事すら知らないようでした。
そんな程度の部員だったのです。
「え!2位?」「ホンマに2位?!」 〝飛び上がるような気持ち〟とはこういう事をいううんだな。
と人生で初めて思った瞬間でした。
今考えるとスタート直後から先頭を独走していたわけで…。
群を抜いた走りで優勝してもおかしくなかった走りだったのではないかと思います。
でも2位だったのです。
「願望の2位実現」だったのです。
その日から 大きく私の人生が変わる事になります。
〝想像できるものは必ず実現できる〟
今からが人生の本番です。
「これからの会社」の社長の皆さま。
いろんなお話聞かせてください。
いろんなお話させてください。
1人でも多くの人と 「マスターマインド」の絆を結びたい
そう「心から」、想っています。
2016年9月9日